2024/05/31

SEKIRO 短編「掌の独楽」

「それは、何だ」

 柿色の羽織を羽織った忍びは、思わず薬師に声をかけてしまった。

 声をかけられたエマは、手のひらから目を外すと、狼に視線を向ける。
 何がおかしいのか。彼女は手のひらと彼を見ると、くすりと笑みを浮かべた。

「手のひら、でございます」



2人から渡された独楽は、エマの手のひらにおさまった。それはエマの掌からおおかみへ、独楽はぐるぐる、子供たちに紐づいた。






 風雪の中、城下を早足で兵たちが歩いていた。彼らはみな無言で、脚をただ動かしている。

 風雪は少し季節外れだが、酷くはなかった。見えぬほどに風が強いわけでも、凍てつくほどに雪が冷たくわけでもなかった。

 だが、寒い。彼らは無言だったが、その所作が寒さを雄弁に語っていた。
雪深い葦名の民とて、寒いものは寒いのだ。

「…もう……そ…ろ…代か」

 風に紛れ、談笑が聞こえてくる。兵たちの脚が速まった。詰め所はすぐそこだ。

「ふー、戻ったぞ。おらたちも入れてくれ」

「おう。はいれはいれ。よしっ。じゃあ、俺たちも行くぞ」

 彼らは外に作られた詰め所に戻ると、すぐさま見回りを交代し、火を囲む輪に加わった。だが、この寒さでは交代は近いだろう。

「ふー極楽極楽……うん?」

 ふと、兵の一人が空を見上げる。男の目は葦名城の屋根を見つめていた。

「どうした」

「いや……いま、柿が空を飛んでなかったか?」

「柿が空を? 寄鷹衆を、見間違えたんじゃぁねえか」
「それにそんな、奇っ怪なモンが空を飛べば、鷹が寄って落として、いまごろおお騒ぎ」

「そうそう、いくらお前さんでも見間違えだろうさ」


 笑いながら飯を進めてくる仲間は言う。

 当然、そんなものが空を飛べば寄鷹に啄まれ、騒ぎとなる。
 彼はその理屈を咀嚼しながらも改めて、城を見つめた。

 ……風雪の中に、柿は見えない。


「見間違えかなぁ……」

 そう呟やくと、谷あいの村出身の彼は火に身を寄せた。





 雪風の中、葦名城の屋根を柿色の何かが駆ける。それは雪風の空を飛び、葦名城の天守へと向かっていた。

「……っ」

 彼は中空に躍り出ると、天守の装飾に向け勢いよく鉤縄を投げる。それはパシりと装飾を掴むと、すぐさまに縄が巻かれる。

 季節はずれの柿色は勢いよく宙を飛び、天守の間に忍び込んだ。




「……」

 皺の濃い顔に柿色の衣と腰の太刀。
天守に降り立ったのは柿の怪異ではなく、柿色の衣を羽織った男だった。

 どうやら鷹に啄まれはしなかったが、蛇には睨まれたようだ。

「……」

 荒れた果てた天守の間を、男は堂々と歩き出す。男は篭手と臑当を身に着け、腰に太刀を佩いていた。

 芯の入った立ち姿に腰の太刀。それだけを見れば、男は侍とも思えた。
 だが、違うのだろう。男からは足音がとんとしない。その歩き方は、忍びのものだった

 男は下層、御子の間に続く階段の前で立ち止まる。
男は軽くだが、身なりを確認し始めた。

「…………」

 無愛想な表情だったが、その顔は不思議と、何かを帯びているようにも見えた。

 男は確認を終えると、男なりに足音を出し、階段を一段、また一段と降り始める。そうして男は御子の間に入った

「……」

 男の目に御子の間が映る。静かな間には御子が見えず、女がひとりいるだけだった。
 風の音のせいだろうか。女は男に気づいていない。

 男は御子の間に併設された書庫の壁に耳を向ける。こほ、と埃ぽっい部屋からは咳の声が聞こえた。

 御子の所在を察した男は改めて一歩踏み出す。先に女に声をかけようとして、男は止まった

「……?」

 男は思わず女に、女の手に視線を向ける。女は手のひらでころころと、何かを遊ばせていた。

「……九郎様」

 ふっ、と、男に気づいた女は、手のひらで遊ばせていた何かを仕舞う。彼女は書庫にて読書に勤しむ、男の主に声をかけた。

「ん、何…おお、戻ったか狼!」

「ただいま、戻りました…」

「ご無事で何よりです」

 書庫から出てきた童子、御子は男の顔を見ると表情をほころばせた





 不死絶ち。御子・九郎の願う、人の世を乱す不死を断つため、葦名を駆け回る忍び・狼。

 彼は不死断ちについて調べるため、一度葦名城の御子の間に戻った。
 そこには協力者である薬師・エマと、御子がいるためだ。

「……」

 狼は薬師に軽く目配せで挨拶をすると、御子様に近況を聞いた。だが、不死断ちについての新たな情報はなかった。

(……不甲斐ない)

 狼は手がかりを掴まんと、書庫に戻る御子を見送る。

 御子は人の世か葦名のためか、それとも狼に報いるためか、張り切っていた。それを見た狼は、ただただ不甲斐なく、決意を新たにした。

(必ずや、九郎様の願いを叶えなければ)





 狼はくるりと振り向くと、天守に続く階段に目を向けた。本来ならば天守から城を下り、狼は再び葦名を駆け巡るのだろう

 ……だが、狼は視線を薬師に向けた。薬師の様子がいつもと違ったからだ。
 彼女は己の手のひらをじっと見つめている。何かが面白いのか、ときおり微笑んでもいた。

 ……狼は疑問を放っておけず、思わず薬師に近づき、問いかけた。
 だが問いかけた理由は、御子の側にいる者……それだけではないのだろう。


「それは、何だ」

 声をかけられたエマは、手のひらから目を外すと、狼に視線を向けた。

「? ……ああ、これですか」

 何がおかしいのか。彼女は手のひらと彼を見ると、くすりと笑みを浮かべる。
 エマは見やすいようにと、手のひらを上に、狼に寄せた。

「手のひら、でございます」

「……違う。懐にしまったものだ」

「あら、ばれていましたか」

 エマはそういうと、あっさりと懐を探りだした。もう少し問答を想定していた狼は、拍子抜けで少し驚いた。

「……」

 狼はずっと薬師の手にあるものが気になっていた。彼女が懐に仕舞ったそれが、どうしても気になる。

 彼はなんともなく、ちらりと見えたそれが何かはわかっていた。だが彼にとって、彼女がそれを持っていることが意外だった。



「こちらです」

 エマが持っていた物、それは──

「……独楽、か」

 少し小さな独楽がひとつ、エマの手のひらに乗っていた。エマの手のひらで、無骨な独楽は咲いている。

「ふふふ。はい、独楽です」
「九郎様のお役に立つ物はないかと、部屋を掃除していたら、見つけたのです」
「それで思わず、懐に……」

 エマは再び懐かしむように、手のひらのコマを見つめる。

 独楽はエマの手と比べても小さく、少し歪だった。だが、怪我をしないようにか、角は綺麗に丸く削られいる。

 大切に掘られたのだろう。狼はそう思った。

「いい独楽だ」

「……前にお話しした、親切な猿を覚えておいでですか」

「お前に戦場で握り飯をやった猿だな」

 いつかエマが語った握り飯を持った猿。うらめしそうに見つめる幼き彼女に、握り飯を与えた親切な猿。


 それを狼は覚えていた。


「ええ。その猿が、あるときから彫り物やら何やらを、始めたのです」

「その頃の私は何故彼がそんなに忙しいのか、よく分かりませんでした」

「いえ……本当は分かっていました。彼もまた、使える者。恩だってあるのですから」

「だから強請ってみました。そうしたらほら……」

 エマはふたたび手のひらの独楽に目を向けた。独楽はいつの間にか、3つに増えていた。

「幾つも幾つも」

「……これは親切な猿に強請って、掘ってもらった物なのです」

「本当は寂しくて、少し気を引きたかっただけなのですが」

 狼は猿の顔を思い浮かべた。器用に庇を操る彼も、こういう時代があったのだと。

「器用な猿だ」

「ええ。親切で器用な猿です」




「エマ殿、何を話されているのですか?」

 話し声が聞こえたのだろう。九郎がエマと狼に駆け寄ってきた。

「九郎様、こちらを」

 エマは屈むと、九郎に掌から独楽をひとつと、紐を渡した。

「これは……独楽ですか」

 九郎の顔が綻ぶ。最後に彼が独楽で遊んだのは何時だろうか。

「はい。九郎様にと、持ってきた物です」

「ですが今は……」

 九郎の綻んだ顔はつかの間だった。不死経ちを思い出したのだろう。

 だがエマはすかさず続けた。もとより背を押す言葉は幾つか考えていた

「狼殿も、独楽を回したいそうです」

「……」

「……そうなのか、狼」

「勿論で御座います」

「そうか、狼もやりたいのか! …ああ、だが場所はどうしようか。ここだと床が傷ついてしまう」

「大丈夫です」

 エマはくすりと笑うと言った。

「そこの床に傷があります」

 エマは御子の間の床を指す。よく見ると確かにそこは、小さく窪んでいた。

「それは一心様が、独楽回しで付けたものなのですよ」



「狼殿は独楽を選ぶので、どうぞお先に」

「待っておるぞ狼!」

 先に独楽を回し始めた九郎を見つめる狼に、エマは話しかける。

「狼殿先ほど──」

「感謝する」

 狼はエマの言葉を遮った。楽しげに笑う九郎に、狼は満足していた。

「はい」

 エマも狼の念を受け、それで話を終わらせた。礼は届いている。


「狼殿、これを。これは、あなたの独楽です」

 エマは改めて、残り2つとなった手のひらの独楽を、ひとつ狼に渡した。

 渡された独楽は他と同じく小さく角が丸かったが、他の独楽と比べ精巧に出来ていた。

「これは……」

「我が師が、貴方の義父に進めたものです」

手の中の独楽を見つめる彼に、エマは語り出した。

「昔、猩々と道玄に貴方の義父が会いに来たことがありました」
「そのとき2人は独楽を彫っていて、話の中、我が師は自分が掘った独楽を1つ取り……貴方にどうかと渡したのです」
「……いらない、とのことでしたが」

「ですからこれは、貴方の独楽なのでしょう」

「そうか……」

 狼は独楽を受け取ると、九郎に向かって歩き出だした。九郎は楽しげに独楽を回していた

「御子か……」

 独楽で遊ぶ九郎に、狼は思わず誰かを重ねた。エマはそれを見ると、懐から狼の手に1つの独楽と紐を渡した。

「貴方が渡したい方に」

「かたじけない……」


 独楽に紐が巻かれ、回転する。独楽回しはずいぶんと久しかったが、よく回っていた。







「柿だ。それと……」



「ああ、いくつか持ってきた」



「少しなら構わん」


 幻廊に、独楽の音と笑い声が響き渡る。

 エマの掌から渡された独楽は、紐に巻かれぐるぐると回っていた。






「……」

 エマの語る話を懐かしんだ男は、仕舞っていた己の持ち独楽を引っ張り出していた。

 男は酒を片手に、雪風の中に過去を探す。

『弾いたり!!』

『ハハハ、討ち取られたは!』

『おや、下克上とは勇ましい』

『ふ。縁起でもないよ、梟』

「……ハァー。酒が沁みる」

 男はひょいと独楽を握ると、紐を巻き、投げた。
 独楽はぐるぐると、回っている。



0 件のコメント:

コメントを投稿